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ソレア心理カウンセリングセンター

2018.07.13 |情緒不安定・パーソナリティ障害

境界性パーソナリティ障害の方に有効なカウンセリングとは

境界性パーソナリティ障害の病態の説明は、精神分析理論によって説明されています。





精神分析はご存知のようにジグムント・フロイトが始めたものですが、100年以上の歴史があり、その間、様々な流派が育ちました。フロイトは神経症圏の患者さんだけを扱っていたので、境界性パーソナリティ障害の病態をそれで説明することはできませんでしたが、イギリスのメラニー・クラインという人が対象関係論という精神分析の流派を立ち上げました。ここには、後日、ビオンとかウィニコットとかいう有名な精神分析家が集うことになります。対象関係とはなんだかよく分からない言葉ですが、対人関係と読みかえてもさほど間違いではないでしょう。

さて、その対象関係論では、生まれたばかりの子どもは母親の全体像が見えていないと言います。子どもはお腹が空いたり、不安なときはミルクを欲しがり、母親のおっぱいに吸い付くわけですが、その自分の満足を満たしてくれるおっぱいは母親のものであるという実感を持っていません。

ここでちょっと専門用語を使ってしまうのですが、おっぱいは母親の部分的なものであるので、部分対象といいます。それに対して母親は全体対象といいます。つまり子どもの中では、母親のおっぱい(部分対象)と母親(全体対象)が一致していないのです。

またこのおっぱい(部分対象)は空腹を満たしてくれるときは自分にとって良いもの(良い対象)ですが、泣き叫んでも母親がおっぱいをくれないときは自分を攻撃する悪いもの(悪い対象)とみなしてしまいます。

同じおっぱいが、良いものにも悪いものにもなったりするわけです。これは境界性パーソナリティ障害のDSM-5の

(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式

のことを言っています。

この(2)の定義は対象関係論の精神分析家カーンバーグの論文から来ています。彼はクラインの良い対象と悪い対象の理論を発展させて、良いもの(理想化)と悪いもの(こき下ろし)の両極端を揺れ動くこの乳飲み子の心性そのものが境界性パーソナリティ障害の方にはある、と見抜いたわけです。

1つのものなのに、それを良いものと悪いものに分裂させて感じてしまうこの状態をクラインは、「妄想・分裂的なポジション」と定義しています。なんともおどろおどろしいネーミングですが、相手の部分的なものを白か黒か2つの選択肢のみに分割し、その分割自体も、自分の中で空想的に作り上げて解釈してしたものである、ということを言っているにすぎません。

その他にもマスターソンという精神分析家が見捨てられ抑うつについて理論化していますが、これは、DSM-5の

(1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力

の定義のもとになったものです。

このように精神分析の理論は境界性パーソナリティ障害の病態を上手に説明することに成功しました。


■精神分析からのアプローチ


この次にくることは、その理論的背景を踏まえてどのようにその病態にアプローチし、患者さんを治療に導くかが焦点となりますが、精神分析はその治癒技法において、いささか弱力であるのです。週に何回かのカウンセリングを何年も続けても一向によくなる気配がない。

精神分析のカウンセリングは皆そうなのかと言うと、そういうわけではありませんが、境界性パーソナリティ障害に絞ってみると、そういう事実が浮き上がってくるわけです。私は精神分析のアプローチをしているわけではないので(その理論には大変お世話になることもありますが)、話半分で聞いていただきたいのですが、この原因は、精神分析が、詰まるところは、「解釈」を前提とした気づきを目指しているからではないかと思っています。

境界性パーソナリティ障害の方には、解釈は必要ないと思うのです。

それよりも、自分の中に爆発する衝動を貯めておけるだけのスペースを作ること、それによって自分が自分をクールに見ることができるようになること、これがカウンセリングの第一目標として掲げられるべきと思っています。つまりマインドフルネスの状態を自分の中にいかに作るかです。解釈は治療者がせずとも、治癒過程で患者が自ずと発見していくことです。(治療者がそれを言うことで治癒過程が台無しになってしまうこともあります。)

対象関係論学派のマイケル・バリントは、他の精神分析家とは一味違ってこのあたりのことをよく分かっていました。彼は境界性パーソナリティ障害の方と、一体感のある世界(調和渾然体と彼は言っています)を作ることを、まずは心がけました。この一体感はクラインの「全体対象」への気づきを促進させるものです。そしてこの全体性の中の一体感こそ、境界性パーソナリティ障害の方が治癒へ向うためのキーになるものなのです。

彼はその面では精神分析の本流に否定的でしたが、彼の着想は素晴らしいものでした。そのカウンセリング技法には目をみはるものがありました。彼の死後、彼の流派はバリントグループとして世界中で新しい展開を目指していますが、それもなかなかうまくいっていないという実情もあります。二代目になるとうまくいかなくなるというお決まりの流れが出てしまっているわけです。二代目で成功させるためには違うスキルが必要なのでしょう。

精神分析で境界性パーソナリティ障害へアプローチする場合、対象関係論のクラインの部分対象と全体対象、良い対象と悪い対象の考え方が有用で、実際の治療では、バリントの一体感のある世界からの新規まき直しをはかるアプローチが有用です。

私は精神分析はやりませんが、バリントの一体感のアプローチは境界性パーソナリティ障害へのアプローチだけではなく他のセラピーにも有用ですので、私もそのように心がけながらクライエントさんのカウンセリングを行うようにしています。


■認知行動療法からのアプローチ


境界性パーソナリティ障害への認知行動療法からのアプローチでは、マーシャ・リネハンという人が弁証法的行動療法というものを完成させています。認知行動療法では境界性パーソナリティ障害の方をサポートできない、とずっと言われ続けてきましたが、彼女がその壁を乗り越えたわけです。

弁証法的行動療法…そういわれてもわけわからないですよね。私もピンと来ません。リネハンはその著作で弁証法的方法論が大切なのだと説いていますが、これは、どんなことにもその反対の面があり、いい面、悪い面、両方に光を当てることで、ブレークスルーが起きて、これまで予想できなかった考え方を身につけることができる、ということです。

精神分析の良い対象、悪い対象の両方を見るというアプローチに近いですね。
わかりやすく言うと、良いもの、悪いものすべてを受け入れることで、これまで味わうことのできなかった境地、つまり自分の創造性が豊かに発揮できる境地に達するということです。症状が治ることには創造性が豊かに発揮されることが必要ですので、まぁ、あたり前のことを「弁証法」という難しい言葉で切ったわけですね。新鮮味を出そうとしたのかもしれませんが、余計にわけがわからなくなったと私には思えます。こういうネーミングも学者さんならではの切り口なんでしょうね。

さて、リネハンは、従来のソーシャルスキルトレーニングの内容にマインドフルネスを導入し、その治療プログラムを見直しました。

そのようにひと口に言うとあまり彼女の苦労は伝わってきませんが、認知療法にマインドフルネスを導入したのはそれはそれですごいことなのです。なぜかと言うと、マインドフルネスとは認知療法とは対極の考え方だからです。導入当時はさまざまな批判にもさらされたと思います。認知療法がそれまでの考え方の悪いクセを修正するという手法からようやく離れ、イメージ療法を取り入れて発達してきたという下地はあるものの、よくやったと思いますよ、リネハン。

具体的には、従来の対人関係を良くするプログラムや感情を調節するプログラムに対して、その前提条件としてマインドフルネスを習得することを一番に考えました。マインドフルネスが習得できて初めて、対人関係も良くできるし、感情も調節でき苦悩に対しての耐性もできる、としたのです。

リネハンの著作を読むとがんばっていろいろな技法をやろうとしていることが伺えます。その一つ一つを丁寧にやっていけばそれは素晴らしい成果もあがることでしょう。けれど、全体的にみると、複雑すぎてやることが多すぎて、年数がかかりすぎるということ、また途中放棄される人も多いかもしれないという危惧が起きてきます。

リネハンは行動療法の人なので、やっぱり、「行動、行動」で押していくのかな、と思ったりします。それだと、途中嫌気がさす人も多そうです。モチベーションを高くする訓練を子どもの頃から受けておりエキサイティングなことをまずは優先させるアメリカ人にとってはたやすいことでも、日本人にはちょっと重荷なセラピーになる可能性もありそうです。実際フルコース体験したわけではないので、あまりそういう判断を差し挟むのはよくないですが、自分が患者になったとき、あれを受けるのは嫌だなぁと思いますよ。

弁証法的行動療法は、リネハンも認めるようにマインドフルネスが中核のスキルです。マインドフルネスとは、他の記事でも説明していますが、注意を集中し考えることを放棄する技術です。人間の心は彷徨うのが仕事なので、ともすればあっちやこっちへ彷徨いだし感情を刺激します。その彷徨いを、傍で見ていられることができるようになることを目指すのがマインドフルネスの技術です。あぁ、そういうふうな自分もいるのだな、と横目で見ることができるようになることがマインドフルネスです。

しかしこれは、認知を修正する認知行動療法とは相容れないスキルなのです。マインドフルネス自体は認知の修正を目指していないからです。認知を受け入れて、それを手放すことを最重要としているからです。

マインドフルネスが重要なことはわかった、けれど認知修正とは正反対のスキルをどのように認知行動療法へ導入していこうか、そこをまだ乗り越えられていないところにリネハンの弁証法的行動療法の弱さが潜んでいるように思います。アメリカで成果をあげていることは確かに聞きます。しかし、これをそのまま日本に導入しても成果はあがらないでしょう。それは認知変容を迫る部分が強すぎるからです。その意味で、弁証法的行動療法は、日本へローカライズする必要のあるセラピーでしょう。海外の心理検査を日本へ導入するときは、必ず内容を日本用に作り変えてそれが妥当かどうかの統計調査を必ず行います。そのような手順を踏んでようやく日本で根付くセラピーではないかと思います。


リネハンはマインドフルネスが中核スキルであると気づいていますが、それはうつ病の認知行動療法にマインドフルネスを導入したシーガルも同様です。けれど両者が違うところは、シーガルは自分のやっていることは認知行動療法を離れていくだろうと認識してるところです。その分だけ、リネハンよりもマインドフルネスへの取り組みが、潔いというか、はっきりとしています。よりマインドフルネスの効果をあげることに成功していると思います。

あと何年かしたら、リネハンの弁証法的行動療法は、弁証法療法と呼ばれているかもしれません。「行動」が取れてしまうわけです。認知の世界から突き抜けていくわけです。マインドフルネスにフォーカスしていくと、そうなってしまうのは自然のなりゆきと思います。

(話しは変わりますが、リネハン一派はクライエントさんへ自分の連絡先の電話番号を教えています。電話の取れるときは24時間体制ということです。これについては賛否があると思いますが、クライエントさんのことを考えるとメリットのほうが勝ります。特に境界性パーソナリティ障害のクライエントさんには心強いことだと思います。当センターもリネハンを見習ったわけではありませんが、電話を取れるときは24時間体制でクライエントさんをサポートさせていただいております。)


■マインドフルネスセラピーからのアプローチ

マインドフルネスセラピーとは聞き慣れないセラピーかもしれませんが、これまでの説明を読んでいただければ、なんとなくは理解いただけたでしょうか。


マインドフルネスとは自分のこころの動きに意識を集中することでした。人のこころというものはともすると、自然にあっちへフラフラ、こっちへフラフラ動いてしまいます。例えば道を歩くとき、目的がなく歩いていても、通りの看板や道端の花に気をとられてしまいます。身体というのは、あなたのこころの従順な僕(しもべ)です。こころの命ずるままにあなたを運んでくれます。たまに怪我をしたり病気になったりすると、身体が言うことをきいてくれないのを恨みますが、だいたいにして普段はこころの言うがままに動いてくれます。身体はこころのままに動いてくれますが、こころはどうでしょう。あなたの願いとはうらはらに、自動的に動いてしまいます。もっと人とうまくやりたい、なんでこんなことをしてしまうのだろう、なんでこんなに空っぽなんだろう、もっと満たされていたいのに。そのようなあなたの願いとはうらはらに、こころや感情は暴走します。

そのたびにしばらくしてあなたは「こんなはずじゃなかったのに」と罪悪感が溢れてきます。そして自分のこころを恨みます。

爆発的な感情の浮き沈みにご自身で振り回される境界性パーソナリティ障害の方は、このこころの自動性に長い間ずっと付き合ってこられた方々です。こころの自動操縦が大得意な方々です。マインドフルネスとはその自動操縦状態の自分に気づくことなのです。

そのような自分に気づくことを続けると、とても小さな感情の揺れまで自分で観察することができるようになります。「ふぅーん、私の怒っている感じってこんななんだ」というレベルで自分の感情を受け止めることができるようになってきます。

これは、自分をコントロール下におくとか、自分の認知の歪みを変えようとしているわけではありません。

そしてこれは簡単なことではありません。これまで習慣化していた自動操縦をやめることですので、それには苦痛も不安も伴います。普段の生活の中で、この苦痛と不安に耐えるのは不可能かもしれません。そのためのマインドフルネスセラピーです。

セラピストはクライエントに寄り添うわけですが、クライエントが自分の感情の小さな揺れを感じることができるように、十分に安全な場を提供します。十分に安全な場とは、さかなと海水、人と空気の関係に似ています。海のさかなは自分のエラの中に侵入してきた海水と一体になっており、海水を異物としてあつかっていません。むしろ自分を生かしてくれるものとして海水を受け入れ呼吸しています。人と空気も同様に、空気は肺に入りますが、それは異物ではなく、なくてはならないものです。さかなも人も海水や空気によってその生命を保証されているわけですが、海水のことを考えたり空気のことを考えたりはしません。なくてはならないものですが、その存在に感謝したりすることがないのです。

さかなや人をクライエント、海水や空気をセラピストに置き換えてみてください。その安全性をわかっていただけると思います。そのような場を提供し続けることがマインドフルネスセラピーの基本的態度です。

精神分析のホールディングや調和渾然体、ハコミセラピーのラビング・プレゼンス(Loving Presence)、ウォルシュの治療の贈り物などもほぼ同様の概念です。

このような状態になるためにはセラピストのほうが、まずマインドフルネスに親しみ、日常で十分に使えるようになっている必要があります。これによって自分のマインドフルネスの受信機の機能がアップし、クライエントさんの小さな揺れの感じに気づくことができるようになってきます。セラピスト自身のこころのかすかな揺れを見ることで、クライエントさんのこころの底の、静かだけれどろうそくの炎の揺れのような小さな揺れを感じることができるようになってきます。

セラピストの小さな揺れとクライエントさんの小さな揺れが交流するとでもいうのでしょうか、言葉には表わしきれない交流がこの段階で流れ出します。この流れが大切なのです。この空気の流れがホールディングであり調和渾然体でありラビング・プレゼンスであり治療の贈り物なのです。

そしてこのクライエントさんに起きている小さな炎のような揺れ、それはどこからか吹いてくる微風かもしれませんが、そのもの自体は見えなくても、意識にあがってこなくても、その小さな揺れとともに静かに居ることで、その揺れを起こしているものへ何らかの作用が生まれ、その見えない掴(つか)めない原因の質が変容するのです。いえ、変容するという言葉はあまりにも暴力的な言葉かもしれません。変容するというより覚醒するという言葉のが適切でしょうか。

実際、境界性パーソナリティ障害の方がよくなっていかれる過程というのは、変容という言葉よりも、もっと高次な精神レベルへ覚醒されていく感じがしますね。それは、セラピストの精神レベルよりも遥かに高いレベルへの覚醒感があります。

この小さな揺れを生み出しているもとはいったい何でしょうか。それを見たり聞いたりすることはできないのですが、それは認知の歪みや自動思考と言われているような表層的なものではありません。あえて言葉で説明すると、それはクライエントさんの創造性へつながるスピリチュアルなものかもしれません。それは何であるかを名づけることは私にはできませんが、クライエントさんのもつ気高い何物かに触れる一瞬です。セラピストはそこではひれ伏すことしかできません。ひれ伏したいという気配が漂ってくるのです。ここがセラピーの急所となります。

そしてセラピーがそこまで進めば、あとはほっておいてもクライエントさんは良くなられていきます。この微妙な一瞬へ降りていくことがマインドフルネスセラピーの基本です。また、日常でセラピストがマインドフルネスのスキルを実践し続けることで、良い副作用としては、援助職の方にありがちな燃え尽き症候群も回避できるようになります。


簡単ではありますが、マインドフルネスセラピーの大切な部分を紹介しました。

シーガルが始めたマインドフルネス認知療法はマンドフルネス習得のスキルが大部分を占めており認知療法的な認知変容の部分はほんの少しです。彼自身、マインドフルネス認知療法が認知行動療法の枠から外れていくだろうとその書籍で告白していますが、マインドフルネス認知療法の行く先の一つとしてマインドフルネスセラピーがあるとお考えになってもかまわないかと思います。
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