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ソレア心理カウンセリングセンター

2018.07.13 |虐待・DV・AC・解離・依存

つなみと風化と虐待と(愛着障害)

東日本大震災が起こったのは2011年です。

こうやって年月を経て言われることは「この出来事を風化させないように」ということです。このシーズンになると各メディアでは声高に叫ばれだします。津波のシーンがテレビをにぎわします。そう、まさに東日本大震災という経験は日本のメディアにとっては1つのイベントになっているのでしょう。

簡単に「風化させない」といいますが、これは誰のためなのでしょうか。被災者の方々にとっては、震災の強烈な記憶は風化していってもらわないと困るのです。いつまでも昔のままの映像で記憶に残っている場合はPTSDという病的な状態が続いているサインです。恐怖体験が風化していかない場合、何かのきっかけで、例えば津波の場合は防災サイレンなどで、いとも簡単にそのときの光景と感覚が今起きているようにリアルに思いうかび、同じ体験を何度も何度も味わうことになります。フラッシュバックです。

正常な記憶というものは、時間が経てば必ず風化します。記憶がセピア色になり、当時の強烈な感情も記憶の彼方に収納されて、「今」という日常生活からは退却していきます。それが生活を送るうえでは大切なことですし、生きものに共通に備わった生存機能なのだと思います。この機能が阻害されるとPTSDになってしまうのです。

つらい記憶というものは退却してもらわないと、風化してもらわないと、日常生活を送るうえで支障をきたします。PTSDになる体験というものは、何かの必然性があって体験しているわけではありません。突然、不条理に、その人の日常に侵入してくるものです。それは不条理なものですから、いくら話しても納得などできるものではありません。逆に話しすぎると、そのトラウマから離れられなくなります。認知行動療法などで取り入れられている、EMDRや持続的暴露(PE)という方法はトラウマ治療に有効だと言われていますが、実際にトラウマの治療をしてみると、有効だと思っているのは治療者側の勘違いであり、患者はずいぶんとしんどい思いをしているのでは、と感じさせる事例が多々あります。エビデンスベイストという思想に基づいて治療の有効性を求める昨今ですが、そのエビデンスベイストであってさえ、治療者側の恣意的な操作があることを分かっていないと、治療法は完成したが患者がさっぱり良くならないという本末転倒なことになってしまいます。

津波のような不条理なトラウマは、何度も思い出させては治っていかないのです。メディアで何度も取り上げられるというのは、このPE的な発想に基づいているように思います。それならば治るものも治らなくなります。少しだけ思い出して、人に少しだけ話して、それを風化させていく。自分の記憶の奥底に退却していただく。こころを抑圧することはいけないことのように言われますが、この単一トラウマに関しては、それは不条理なものなので、抑圧してしまっていいのです。不条理なものは解決などはありえません。それが解消することもありません。唯一できることは、再び抑圧すること。退却させること。風化させること。治療者や治療理論はそのために存在しているのでしょう。解消させようとしては再度トラウマを作ってしまいます。そのような想像力の欠如した治療者が多いことも事実です。

ですから「風化させない」ことは日本人としては必要なことですが、被災者にとってはできるだけ早く「風化するように」心遣いをしなければならないでしょう。

このように自然災害や突発事件などの単一トラウマの場合は、風化させていくことが重要ですが、恒常的に虐待やいじめにあっている人が経験している無数の小さなトラウマの場合は、最終的には同じように風化していくのですが、そこへ至る経過が、単一トラウマの場合とは異なっています。どのように異なるかは、簡単には言えないのですが、次の訴えと私の解説を読んでいただくと少しは分かっていただけるかもしれません。本人を特定できないように背景などには脚色を加えてあります。

この方の実家は関西で、実母から虐待を受けて育った50代の女性です。結婚で岩手県の三陸地方へ嫁ぎ、3人の子どもがいて、そこで被災されました。

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これは人には決して言えないことなんですが、そのとき津波を見ている恐怖はありましたが、実は、こころの底ではスーッとしていたんです。全部壊していく津波をみて安堵感といっては変ですが、自分が生かされているような感覚を覚えたのです。街が壊されてスッとしたわけではないのです。

夜になって避難所に身を寄せたときに思っていたことは、さっき感じていた衝撃はもうこれからの人生では体験しないだろう、ということです。津波を見てスッキリした。こんなにモノを壊せることはもうないだろう。根こそぎ、すべてを壊していく。建物や街の形状だけじゃなくて、そこにある縁故もすべて。

うちは洋服の卸問屋をやっていて、家が高台にあったので津波の被害は免れました。避難所には多くの方が家を流されて何も持っていなかったので、うちから避難所へ何度も何度も運びました。家の中がすっからかんになっていき、身の回りのものがなくなっていくのが嬉しかったです。あまりに夢中になって運んでいたので、自分の子どもに服を着せようと思ったとき、全部あげちゃっていたことに気づいたくらいです(笑)。

私の家は残った。だから私が助けなきゃ。ハイテンションでした。災害を経験した人が最初に経験するハネムーン期だったのでしょう。津波に被災した人々は、避難所で、家をなくして絶望しているのですが、私はむしろスッキリとし、はつらつとしていました。すべて根こそぎもって行ってくれた、という喜びというと変ですが、なんかそんな感じでした。忘れられない感覚。50年生きてきて、初めて自分が分かったような感覚。津波で、スッとしていたのです。

津波という災害によって心が暴れだして罪をおこす人もいるでしょう。でも私のテンションの高さはそういう人たちとはちょっと違っていたと思います。
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ここには被虐者特有の感じ方があると思います。

被虐者は、もともと「自分のもの」という感覚がありません。それは幼少期の頃から母親からの愛着をもらえていないために、その親の向こうにあるはずの「社会」というものからも切り離されて生きざるを得なかったためです。人間というものは社会的な生き物であるため、社会から切り離されていると、自分というものを自覚することもできません。そして、社会に属している感覚が希薄なために、身の回りのもの(そこから「社会」が透けて見えるもの)は邪魔なものになります。そうやって、なんかしっくりこない違和感の中でずっと生きてきたから、「身の回りのものがなくなっていく」ことは、自分本来の姿に戻っていくことなので「嬉しかった」のです。自分というものに近いものを体験できた喜びなのです。

被虐者は、母子関係で自然発生する愛着というしがらみの中で生きていないために、社会的なアイデンティティが始めから希薄です。0歳児は、母親との関係を通して、その母親の背後にある「社会」というものを実感します。被虐者は、社会から切り離されて生きているため、誰と一緒にいても「ひとり」です。交わるものがない。津波によって、目の前で「社会」というものが全て喪失した。彼女にとって、この「社会というものが根こそぎにされた」風景は、自分の原風景に近いものなのでしょう。ようやく自分の存在を見た、自分を発見した思いがあったのでしょう。自分の感覚とようやく一致したものに出会った嬉しさがあったのでしょう。

この社会から、世界から切り離されている感覚というのは、被虐者に共通にある感覚です。ある人は、それを「よりどころが一つもない自分」と表現し、またある人は「空中に浮いている自分」と表現します。「この世のすべての人とかかわれない。死にたいわけではないが、それを自覚すればするほど、死が近づいてくる。毎日生存の危機の中で怯えながら生きている。ただただ消えたい。」世界から切り離されているというのは、このような感覚なのです。

この世界は、本人にとっては恐怖以外の何物でもありませんが、彼らが回復してくると、世界から切り離されている感覚が、「自由な」感覚に変質していきます。津波ですっかりゼロになってしまった風景を体験して、こころはスッキリとしていた、というのは、ようやく深呼吸ができるようになった体験と言ってもいいかもしれません。生まれてこのかた、胸の奥まで息を入れることができなかった人が初めて深呼吸をしたときに感じる、そののびやかな感覚、自由な感覚。恐怖からの回復は、このような自由な感覚が、被虐者の原動力となり、彼らの世界が再構築されていくのです。世界から切り離されているからこそ、真の自由に近づいていくことができるのです。こうやって「自由」な世界が再構築されていくのです。

被虐者のある人は、自分の過去の体験に苦しんでいた時期、よく海外旅行に出かけました。数か月、一人で、異国で生活をするのです。そのとき、飛行機の離発着時に、全部がなくなってしまうかもしれない感覚にワクワクしていたそうです。それは、「生き直すための儀式」だったと回顧されています。

異国での生活も、津波のように、これまでとは風景を一転させる効果があります。被虐者は「異邦人として生きていく人」ですが、まさに、日常生活において異邦人となる体験が、自分というものの出会い=再構築に影響を及ぼしていたのでしょう。

また飛行機の離発着時のワクワク感というのは、自分の異邦人性、つまり「自由」性への接近という意味もあるのでしょう。人は、いえ万物は、重力というものに拘束されています。それはこの宇宙万物の原理でもあります。重力というものは、人間にとっての最後の執着と言ってもいいかもしれません。そして、飛行機が離陸するということは、その重力から切れていく行為です。(量子論的に言うと、ちょっと違うのですが。)人間にとっては最大の執着であるものから切れていく、その自由。飛行機のテイクオフにはそのような自由さがあります。ワクワク感とは、そのような自由、被虐者にとってはなじみの深い自由を感じることができることへの幸福感なのでしょう。ここに被虐者が幸せに生きていくための道筋が示されているのだと思います。

飛行機事故によってすべてがなくなるということは、これまでの苦しい時間から決別できるということでもありますが、そのような壊滅風景への憧れは、自分の人生の終焉を願うという気持ちだけから出てくるものではなく、もっと異邦人的な、自由な生き方を希求しようとする気持ちからもにじみだしてくるのでしょう。ここに「被虐者という異邦人」の希望があります。
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