迷惑手帳と自己責任ということ

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私は、先送りの名人です。(笑)

これは、実は、いばってもいいことだと思ってます。

先送りすると他人に迷惑もかかるのですが、
どこまで迷惑をかけるかというラインをチェックするわけですね。
これは社会生活を長くやってきて、
自然と身につけてきたノウハウというものでしょうか。

この人にはここまで迷惑をかけよう、
この人にはここまでガマンしてもらおう、
そうやって迷惑をかける区分分けをしていきます。

そうやって「迷惑配分」を考えるのです。
迷惑をどうやってかけようかと思案するわけです。
これはホントに真剣にやります。
迷惑がかかるのだから、真剣に「かける迷惑」を考えるわけです。
(決して、少ない迷惑にしようという手抜きをしてはいけません笑。)

これはうつ予防策としても優れた戦略です。
毎日寝る前に、

「明日は、誰に、どういう迷惑をかけようか」と練るわけです。

明日やる仕事を書くのじゃなくて、
明日他人にかける迷惑を書くのです。

これは結構楽しいですよ。
そのため、私には、特別に迷惑手帳を作っています。
スケジュールの手帳はものすごく小さいのですが、
迷惑手帳は大きいです。
できるだけ迷惑をかけようという魂胆があるからでしょうか。

人は、他人に迷惑をかけるなと親や学校から教えられるわけですが、
どこまでそれを実践できるのでしょう。
だいたい、親や学校の言うことはアテにならないのですが、
この「迷惑をかけるな」は、その中でもかなりアテにならない教えです。

子どもは、このことを真実と思って育ち、
成人してから、にっちもさっちも行かなくなって、
うつ病になってしまうのです。

1人の人に10の迷惑をかけるとなると人間関係を崩すかもしれないけれど、
10人の人に1の迷惑なら、結構問題のないことが多い、
いやほとんどの人は引き受けてくれます。
喜んでくれる人もいます。

迷惑を与えるというのは、プレゼントにもなるんですね。

ここですよ、
だいたい迷惑はプレゼントなんです。
子どもが親にかける迷惑はその最たるもの、正真正銘のプレゼントです。

仕事には期限というのもあります。
けれど、それだって、なんとかなるものです。
あしたまでに100の仕上げが必要な仕事でも、
ごめん、60までしかできてない、
ここまでしかできなかった、
というふうにオープンにします。

ビジネスではこれは許されないことだと思っている方も大勢いらっしゃいますが、
手の内をさらけ出すと大丈夫なことが多いです。
戦略的には、いつこの迷惑な発言をしようか、と先手を打つ人もいるのですが、
早ければ早いにこしたことはないと思うでしょうが、
結構、スケジュール挽回はムリという時期にぶっちゃけても、
スケジュールというのはなんとかなるものです。

自分が悩まなくても、仕事全体の調整が働くものなのです。
大勢でやっているプロジェクトでも、
1人でがんばってスケジュールを死守する必要はないのです。
大勢のところで調整はうまく納まっていくことが多いものです。

スケジュールというのは人と同じで生き物だからです。

皆さん、自己責任とかスケジュールにしばられすぎて、
自分で抱えきれないほどのものを抱えてしまって、
前進も後退もできないところで、
動けなくなってしまっています。

自己責任というのは、最近よく聞かれる言葉ですが、
他人に迷惑をかけないという意味で使われることが多いようですね。
けれど、自己責任とは「自分に責任をもつ」ということが本来の意味です。

自分に責任をもつということは、どういうことでしょうか。

それは、自分が自分に対して責任を持つ、ということです。
自分が他人に対して責任をもつ、という意味では使いません。
現代社会では、後者の意味で使うことがほとんどですね。
けれど、臨床心理学的に言う「自己責任」とは、前者の意味です。

自分というのは、コントロールできる部分とできない部分があります。
それを意識、無意識と表現することもできますが、
意識ではわかっていてもコントロールできない部分もあります。
つまり、意識的にしろ、無意識的にしろ、
人は、コントロールできない部分で生きている部分が少なからずあるわけです。

自分に対して責任をもつ、というのは、
そのコントロールできない部分に対して責任をもつ、ということです。

私にはコントロールできない部分があるんだ、
それは何を言いたがっているのだろうか、
それはこれまで私が見ないようにしてきた部分なのかもしれない、
実際はそこに居たのに、これまでは、ないものとして扱ってきたものかもしれない、
でも、そこに居たんだね、
そこで耳を澄ましていたんだね。

ごめんね、今まで見てなくて。
そこに居てもいいんだよ、
私はあなたのところへ降りていく、
そしてあなたと一緒にいる。
あなたをコントロールするわけじゃない、
そんなことはできないし、したくない。

そのかわり、私にあなたの望みを教えてください。
話したくないだろうけど、いつか話してくれるといいな。
私は、どこへもいかず、一緒に居る。
もうあなたから逃げない。
私はこれまであなたを怖がっていたんだろうね、
あなたという存在が在ることを怖がっていたんだよね。

ごめんね、
怖くて見れなくて。
居ないことにしてて、ごめん。
いっぱい何かを言いたいよね、
すぐには和解できなくてもいい、
だけど、私は、怖がらずにあなたのところへ降りていくよ。

こういう決心をすることが、自己に責任を持つ、ということです。
心理学的に見ると「責任」とは「自己愛」のことなんだと思います。

ここで言う、自己愛とは、ナルシシズムのことではなくセルフラブのことです。
ナルシストは自分だけの世界に沈んでいきますが、
セルフラブとは自分に沈みながら世界へ開いていくような愛情です。

この「なかったことにしてきた」自分って何歳くらいでしょうか。

人によって違います。
幼かったり、社会人だったり、とっくに死んでしまった先祖だったりもします。
あるいは、まだ生まれて来ていない自分の孫であるかもしれません。
インナーチャイルドよりも、もっともっと柔軟性のある自分です。

その自分を発見し、それにつながることが、
自分の人生に対して自己責任を果たすことになるわけです。

これは別の意味で言うと、自分のアイデンティティの成長です。
自分のアイデンティティとは、社会的な自分(仕事、家族、役割、権力など)ではなく、
裸の自分のことです。

繰り返しになりますが、
自分に責任を持つとは、
これまで「なかったことにしてきた」自分を見てあげることです。
自分を後見することです。
それを見る作業は、あなた自身にしかできないのです。

責任とは「後見」のことです。

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