成人の2大発達障害としてのアスペルガー障害とADHD

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大人の発達障害の代表として取り上げられるものに、アスペルガー障害(自閉性障害の一つ)と注意欠損/多動性障害(AD/HD)の2つがあります。

アメリカ精神疾患の分類と診断の手引き DSM-5にも「通常、幼児期、小児期、または青年期に初めて診断される障害」として、【自閉症スペクトラム障害】の一つとしてアスペルガー障害、【注意欠如・多動性障害】として、注意欠陥/多動性障害があげられています。

アスペルガー障害などの自閉症は、現在の研究では脳の扁桃帯の機能障害であり、前頭葉にあるミラーニューロンの不活性によって対人関係が作りにくくなっていると言われています。(うつ病のセロトニン仮説と同じような仮説です。実証はされていません。)この機能低下によって「空気が読めない(KY)」状況を作り出します。アスペルガー障害を発見したオーストリアの精神科医アスペルガーは、当初この病態を「自閉性精神病質」と名づけました。精神病質とはパーソナリティ障害、つまり彼はこの病態を、治療可能な「自閉性パーソナリティ障害」と捉えたわけです。このパーソナリティ障害という考え方は、彼の死後、自閉症スペクトラム障害を唱えたウィングによって批判され、脳の障害というところに落ち着いています。

2011年にDSM-5が出ましたが、広汎性発達障害という障害はなくなり、自閉症スペクトラムの一部としてアスペルガー障害が分類されました。

私は自閉の研究者ではないので、エビデンスが手元にはありませんが、カナ-型と呼ばれている重度自閉症の人と、アスペルガータイプの人は、受ける感じが違います。重度自閉の人のほうが情緒の動きを感じたりします。アスペルガーの人はよく話すわりには情緒の交流を感じることが少ないです。そのような実感から、アスペルガーは自閉症の仲間なんだろうか、という疑問があるのですが、診断としては自閉圏の中に入りました。

また社会的コミュニケーションの障害という枠でアスペルガー障害を捉えることが多いですが、この社会的コミュニケーションの障害という規定がやっかいです。例えば、子どもにしては難しい大人言葉をしゃべるとか、おべんちゃらを言うことも社会的コミュニケーションに入ってきます。その規定で考えると、関西の子どもは、大抵、ツッコミもするし持ち上げもするので、アスペルガー的になってしまいます。このように、自閉を考える上で、社会性の障害という視点は一つの判断枠になっていますが、これも文化や社会が変われば変容するものなので、コミュニケーションの障害というカテゴリーもなんだか変な気がします。「空気が読めない」というKY現象も臨床心理学的な視点では自閉に近いものかもしれませんが、社会心理学的にみると、KYが発生する場というものがあって、その場に合わないと判断された人がKYというグループに入れられてしまうわけです。この意味では、アスペルガーも社会的に作られた障害とも取れるわけです。(これはあくまでも私的意見です。大勢としては、コミュニケーションの障害が自閉の一つの要素です。)

アスペルガー障害に比べて、AD/HDは、脳の機能障害と言われながら特定的な原因をつかめていないのが現状です。神経伝達物質であるドーパミンが前頭前野で不足していることは観察されていますが帰納的な仮説にすぎません。またAD/HDの遺伝子が発見されたというニュースが最近ありましたが、大きく取り上げられることはありませんでした。

また、AD/HDに関しては、持って生まれた障害ではなくて、生まれた後、社会的(家庭環境)に獲得してしまった障害である、という見方もあります。この考え方はAD/HD親の会(NPOえじそんくらぶ)からは非難の声があがっています。私としては、スピードと正確さを求める現代のアメリカ的社会こそAD/HDそのものであろうと思い、社会現象としてのAD/HDを考えたりします。(アスペルガーと同じ現代社会的な病理という見方です。)しかし、生得的であろうが、社会や家庭の産物であろうが、どちらでもよく、AD/HDの当人が生きやすいようになればいいだけと思っています。(2009年秋の時点で、AD/HDは脳の発達の「障害」ではなく、発達の「遅延」であるこということがわかっています。別記事 「創造的で精力的な障害~成人のADHD」 をご覧ください。)

私は自分の体験を振り返ると、AD/HDはてんかんのような突発的な異常脳波があるように思います。そういう生得的な機能障害の上に、幼児期に体得してしまったライフスタイルと社会的な(先進国的な)生き方の要請などが複雑にからみあって、多動・衝動を誘発しているのではないかと思います。その意味ではパーソナリティ障害に近く、AD/HDパーソナリティ障害と言ってもいいかもしれません。パーソナリティ障害ですので、必ず良くなるわけです。私は研究者ではないので、持論はこのへんにしておき、これ以降は一般的な見地に立ってお話します。

さて、アスペルガー障害とAD/HDですが、子どものときに、これらの判定がついていれば、少なくとも行きづらさの原因はわかります。しかし子どものときに、これらの障害が目立たずに大人になった場合と、発達上の障害があることがわからないので、人と接するときのズレによって、どうして自分はこんなにもしんどい思いをして生きているのか、なんで他人はわかってくれないのだろう、ということで悩んでしまうことがあります。(仮説としては、ミラーニューロンの不活性からくる症状とみることができます。)

そのような人のカウンセリングを受け持った場合、発達の障害の知識のあるカウンセラーは、その生きづらさの根本は発達の偏りからくるものかもしれないと、仮説を立てることができますが、そうでない場合、何らかの人格の障害か不安障害かと仮説を立ててしまい、その改善をカウンセリングの目標にしてしまいがちです。

クライエントさんは、対人場面において発達の偏りからくる様々な偏見や中傷によって傷ついている場合が大半ですので、後者のように仮説を立ててカウンセリングを進めても、症状は改善してきます。しかし、クライエントさん、カウンセラー双方が、クライエントの独特な思考パターンを理解できていないため、ある程度まで行くと、カウンセリングの進展が止まることがあります。また、すっかり良くなったと思った症状がぶり返してくることもあります。

(このカウンセリングの停滞は、発達障害から起因するばかりでなく、カウンセラーの共感能力=ラポールの中断に起因することも多いように思います。どちらが原因かはわかりませんが、私は相談者の立場に立つならば、やはりカウンセラーの問題が多いと思います。)

発達の障害でなくても、通常の精神疾患でも症状のぶり返しというのは、症状が良くなっていくときにほとんど必ずあるものなのですが、発達の障害が疑われる相談者の方から来るぶり返しはどこか違うように感じています。それをまだ言葉にできない私は、発達障害に関しては未熟なカウンセラーですが、発達の問題をお持ちになっているクライエントさんのぶり返しは、どことなく、また完全に元に戻っているような感じ(あくまでも「感じ」です)を受けることがあります。2人でなんとか積み上げてきたものを急にちゃぶ台をひっくり返されたような、なんかこう、積み上げを感じることができないわけです。(特にアスペルガー障害の方にはそのような印象を持ってしまいます。)

完全に元に戻っているように感じても、改善はされているわけなので、もとのもくあみ、というのとは違いますので、その点は勘違いされないようにお願いします。積み上げを感じないのはクライエントさんの問題ではなく、カウンセラー側の問題であることが多いからです。

症状はクライエントさんとカウンセラーの合作である、というのは精神医学の世界では常識となりつつあることですが、この発達の問題についても同じことが言えます。つまり、発達障害の視点で見るとみんな発達障害に見える、ということです。これによって、事件を起こす人はすべからく発達障害の視点でみてしまう臨床家も少なくありません。(治療者にとっては原因を明確に宣言できるため、そのほうが楽だからです。)ですから、診断するほうは、ほんとうに慎重な態度と経験が必要になってきます。治療的には、一度、型にはめた、この発達障害という視点を外すところに、発達障害の有効利用という新たな視点が生まれてくるように感じています。

われわれ心理職が発達障害を勉強するのは、相談者のかたを発達障害であると見立てるためでなく、いったん「この人は発達障害ではない」という視点に立ってみるためです。この視点に立てると、いろんな治療方針やら、これまで見えてこなかった相談者の方の長所が見えてきます。これはおかしいことではありません。薬の勉強をするのも、薬は使わなくていいと自信を持って言うためであり、統合失調症や発達障害の勉強をするのも、統合失調症や発達障害でないと見立てることで、相談者のかたが動けなくなっている現状から抜け出すヒントを得やすくするためです。

大人の場合、仕事を持ちながら社会性を身につけていくため、それでなんとかやれてしまうことがあります。しかし、なんとかやれてしまっていれば、あえて発達障害だ、なんて言う必要はありません。それは当然のことです。当人が生きづらさを感じていなければ、そのことで周りに迷惑をかけていないのであれば、とやかく言う権利はないということです。その「やれている」という部分を拡大していくことこそ大切な道標なのです。

発達障害については、精神科医よりカウンセラー・心理士が得意とする分野です。これは、薬でも治すことのできない機能障害とされているので、精神科医の領域からは取り残されてきたという背景もあるのではないかと思います。しかし、昔と違って現在は、生きづらさを感じているという訴えを自由に言える状況になってきています。そのような相談者の中には、発達の障害を疑われるかたも少しはいます。

発達障害は脳の機能障害とされてはいますが、カウンセラーとの共感回路がオープンすることで、相談者のミラーニューロンは活性化していくので、発達障害における器質の問題は改善していくものなのだ、という認識をもっと広げていく必要があるでしょう。そのためには「発達障害ではない」という視点に立つことが重要なのです。

現在、人に危害を加える、自分の衝動のコントロール不能からくる事件が多発しています。そういうコメントに必ず登場するのが発達障害です。コメントする側はそこへ逃げ込んでホッとするわけです。しかし、発達障害があるから、そういう事件を起こすわけではありません。発達障害を持たれる方の95%は事件とは無関係な社会生活を営んでいるのです。これらの事件の大半は解離的な犯罪であり、ストップのかからないトラウマの衝動が原因となっていることが多いのです。

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