カウンセリングの期間について

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カウンセリングの期間ってみなさんどう思ってらっしゃいますか。

当たり前といえば当たり前ですが、この期間、クライエントさんの症状や病態によって、セラピストの技量や見立てによって、大きな差があります。軽くは言えません。

これが本音ですね。特に、症状というのは数回お話を伺ったり、心理テストを取って始めて客観的に見えてくるものです。だから始めからカウンセリングうの期間なんて言えないのが本当かもしれません。

でも、クライエントさんにしては、目標のない治療を始めるわけにはいかないですよね。そうです。予想される期間を明確に言うというのはセラピストの責任でもあるのです。いわゆるアカウンタビリティとか、インフォームドコンセントというやつですね。もし、期間を聞いて「わからない」で押し通すセラピストであるのなら、おやめになったほうがいいかもしれません。分からない、それはカウンセラーの正直な気持ちですが、指針が見えていないということでもありますので。

私の場合、2回程のインテーク面接をします。インテーク面接とは、クライエントさんの症状やその原因を確認しながら、治癒への見通し、治癒への方法などをはっきりさせていくカウンセリングのことです。治療的な面接を含みながら、クライエントさんの来し方=行く末を案じながら、関係性を作っていきます。その後で期間の話になります。ちょっとかかりそうなときは、カウンセリングの頻度を話すことにしています。

精神科医の中井久夫は、7回目くらいまでに何かが起こり、10回目以降は高原状態を続けると言っています。彼は統合失調症の治療に尽力されている方です。統合失調症でさえ、その回数なのです。だから、10回前後という回数は境界圏、神経症圏のクライエントさんへの指針にもなります。ただ、中井という卓越した精神科医が言う回数ですので、凡人セラピストの私たちにはそのままは適応できないですが、私の過去の経験から申し上げても、10~20数回というのは妥当なような気がします。2年ほど。

そのあたりで何かが動くわけです。そしてその何かによってクライエントさんの創造力が刺激され、生産的な日々の生活を送れるようになっていくわけです。症状は消えていないけれど、とりあえずそこでなにか一区切りつくのです。そのあとは、また次の一区切りでやっていく。私はそのようにセッションの前にクライエントさんに説明します。

そうやって20数回ほどを1つのダンゴとして、そのダンゴを連ねていくというふうにカウンセリングを考えていただくわけです。クライエントさんにもそのように山を一つ一つ越えていく決心をしていただく効果もあるわけです。

カウンセリングの回数でいうと催眠療法などは一番少ない回数かもしれません。5回くらいで終了するケースもあるかと思います。しかし、ここで注意しないといけないのは、そのくらいで終了する場合は、もともと健康度が高くてセラピーを必要としていなかったか、イメージを喚起する能力が高くて(実際は治っていないのに)それで治ったつもりになっているのか、症状が治る直前だったのか、どれかです。

イメージ喚起力について、お話しておかなければなりませんね。例えば、数回のワークショップなどを体験したとき、「あーすごくいい体験だったです、なんだか自分が変わったようです、ありがとうございます。」とおっしゃる人がいます。こういう人は、もともとイメージ力が豊富な人で、自己催眠的に何かをみたり聞いたり、一人で勝手に神様を作り上げたりするのが得意な人なのです。それはそれで、たいへんな能力なのですが、それが治療の場では逆効果に働いたりもします。根が深いのに、浅い部分でイメージを使って、一人で治っちゃった気になってしまう。実は治ってないのに、自分で治っちゃったことにしてしまったわけです。この場合は、しばらくはその気分が続くのでいいのですが、そのうちまた変だなぁと思うようになってきて、またワークショップの申し込みをしてしまう、そういうことが繰り返されます。そのへんのことをご本人もお気づきになっていない。

これを表面的治癒と呼ぶ人もいます。しかし表面的治癒というのは結構なことなんですよ。そもそも根っこが完治するなんてとても難しい話です。根っこというのはその人の存在理由、根源的なものとつながっています。それがもし変化してしまうなら、その人の実存的な生き方そのものが変化を受けてしまう。治療というのも、比較的浅い部分を掘って、それでクライエントさんを生活のフィールドへ帰すことをやるわけです。それでだめなら、日常の現場から帰ってきてもらって、もうちょっと掘ってみる。その繰り返しです。私が20回程度のカウンセリングを1クールとして、それを数クール繰り返すというのは、そういう感じです。いきなりパワーシャベルでざっくりなんてことはやりません。それをやっちゃうと心が枯れてしまうでしょう。そしてある程度掘っても良くなってこない場合、それは私とクライエントさんの相性が合わないか、私の技量が足りないかのどちらかです。その場合は、もっと信頼のおける治療者へ紹介状をかかせていただきます。

ワークショップで感激体験をしやすい人は、自分の力で少しだけ心の表面を耕すことができる能力のある人です。ここで、別の角度から見てみると、心理的なワークショップを受けるという人は2つの人種に分けられるのです。学問的探求を求めて参加するのか、自分の問題をどうにかしたくて参加するのか。感激体験をする人は後者の人が多い。自分の問題をどにかしたいと思っているくらいだから、ちょっと耕しただけではなかなか本質へ辿りつけません。それに自分が耕しているので見当違いの場所を耕したり、力加減がいま一つ良い按配(あんばい)になっていないことが多い。弱すぎたり強すぎたり。そんな理由から、表面的治癒になっていたり、見当違いのことをしていて、ただその場、気持ちいいだけで終わってしまうのです。

よくワークショップで見かける客寄せメッセージで、「○○療法をマスターできます。ご自分の心の問題も一緒に解決できます。」なんてのがあります。こういう言い方をするところは注意したほうがいいです。ものごと、そんなに気前よくウマクいくことはない。催眠、NLP、トランスパーソナル系のワークショップでよく見かける常套(じょうとう)文句です。セラピーテクニックのマスターと自分の問題解決は別の方法で、と考えておいてください。

私は催眠をやってきた経験から申し上げるのですが、(催眠を目のかたきにしてるわけじゃないですよ。自分でも今でも、催眠らしからぬ催眠を使っていたりしますので)ハイヤーセルフや前世療法などは確かに効果はあります。効果はあるけれど、それを本当の体験だと勘違いされる人もいらっしゃいます。この勘違いされる方と、さきほどお話ししたイメージ喚起力の強い方と、多くはダブるような感触を持っています。このへんはとても面白いテーマなのでまた回を改めて考えてみることにします。

さて、統合失調症でさえ10数回くらいで何かが起こると書きましたが、それは力量のあるカウンセラーにかかった場合で、またそれだけで完治するというわけにはいきませんので、補足しておきます。何かは起きるが、それを長い時間をかけてソフトランディングさせていくわけです。

10数回程度で何かの変化が起こるというふうにとらえておいてください。統合失調症は、それ自体病態が重いので、10数回くらいやったら、あとはしばらく流しモードに入って、また10数回くらい気合をいれる、その繰り返し、そのダンゴの繰り返しと思っていただいていいと思います。そのサジ加減は、あくまでもクライエントさんとセラピストの相性もありますし、セラピストの技量にも当然左右されます。(このように書くと、なんだか逃げているみたいですね。今日は逃げの高間でいきます。逃げも必要なんですよ、セラピーには。ということにしておいてください笑。)

じゃあ、パーソナリティ障害はどうなんだ?長引いているうつはどうなんだ?とか、質問が当然でてくると思います。

それにも、私は、まず2年ちょっとを目安にしましょうと答えることにしています。

パーソナリティ障害は一生モノとお考えになっていていいと思います。人は変わりません。むしろ変わらなくてもいいのです。パーソナリティ障害持ってたら、それと一緒に一生を歩く覚悟をしてもらう。一緒に歩くのですが、人間関係性は前と違ってきている、なぜか知らないけれど視界が開けて世界が変わった感じだ、生きるのが楽になっている。クライエントさんにそういう世界観への変容を遂げてもらうのが、カウンセリングの役目だと思っています。

生産的で創造的な生活が送れるような状態に戻って生活の現場へ回帰してもらう、とも言えます。その回帰する力は、もともとはクライエントさんの霊的な力、いわゆる治癒力そのものですので、それにすがるしかカウンセラーはないわけです。そのような力が出せるように、あれをやったりこれをやったり、時には勘違いしながら、クライエントさんと一緒にもがくことをやっているのがカウンセラーです。

なんだか突き放した感じをうけるでしょうか。あるときは擦り寄って、あるときは突き放す、これが効果を産むときもあるのですが、まぁ、「変わらなくていい」というのはホントのことだと思います。

2007年の秋、民主党の小沢代表は、辞めると言ったり、やると言ったりコロコロ発言が変わりました。これは、ある種のパーソナリティ障害ゆえの行動と見ることもできます。発言が変わるのはかまいません。普段の生活の場では、TPOに応じて、言うことが変わるのも仕方ないでしょう。けれど国政の場であれをやれるというのは、十分にパーソナリティ障害の要素があります。じゃ、どんなパーソナリティ障害なんでしょうね。それは今後の彼の行動を見ていれば明らかになってくると思います。またいつか、このことには触れたいと思います。

だいたい政治家は、どこかにパーソナリティの障害を背負っているものです。大勢の人の目に触れる職業の方には大なり小なりなんらかの性格傾向があるわけです。それでなきゃ、あの年になるまで根が深い何らかの「欲」を抱えたまま普通の人は生きていけません。その意味ではパーソナリティ障害とは特殊能力なのです。うまく利用すればその人にとってハッピーな生活が約束されます。そんなふうに考えるといいかと思います。

吉本バナナの本にこんな言葉がありました。

「自分を生き切る。そこにしか奇跡は生まれないのだ。」

これある映画監督についてエッセイでその監督が言っていた言葉を彼女が紹介していたものです。まさに、パーソナリティ障害で悩んでいらっしゃるクライエントさんには力つけられる言葉だと思いませんか。その障害で悩まなくなったら、もう十分に生活していけるのです。周りの人はそれで迷惑をこうむるかもしれませんけど、多少のことは目をつぶってくれるでしょう。

小沢さんも自分を生き切っているのです。だから辞めると言った矢先、やると言うわけです。彼は自分が病気だと思っていないので(たぶん)、自分を生き切ることができるのです。私はパーソナリティ障害の方を見るときは、いつも彼(彼女)がそのあり余るパワーを創造的に使えるようになればなぁと思います。パーソナリティ障害の方が、自分の障害を目に見える形で表現するとき、それはリスカをしたり、大量服薬したり、他人をののしったり、暴力をふるったり、など、そういう表現をするときのパワーには恐れ入っています。それは並大抵のパワーじゃない。そういう力をもっているのです。小沢さんは政治的センスが優れているという評価です。政治家としては2流と思いますが、センスは1流なのでしょう。そのセンスはどこから来ているのでしょうね。たぶん何かの犠牲にそのセンスがあると思うのです。

そう、そう。センスは何かの犠牲の上に成り立つのです。

だからパーソナリティ障害の方には、ご自分の何かのセンスや第6感を磨くことができれば、それはそれで十分に創造的な人生が待っているのだと思います。いわゆるアイデンティティが未発達な問題も、それでなんとかカタがつくのです。この「なんとかカタ」がつくようにカウンセラーは頑張るわけです。

話を戻して、カウンセリングの回数ですが、
短期療法といわれているものは、10回前後、20回前後くらいです。
ただ、1年くらい、つまり毎週やるとして50回前後が多いのじゃないでしょうか。精神分析ってなると500回とか1000回とか、もう天文学的な数字になってしまいます。セラピストのほうがやっている間に死んでしまわないかと心配になります。

短期と長期とどちらがいいか。私は短期です。そして短期をつないでいくやり方です。ある程度にきたら仕切りなおしをする。この仕切りなおしってのが大切だと思います。それをすることでクライエントさんの自然治癒力が活性化すると思っています。仕切りなおしについてはあまり言う人が居ませんが、仕切りなおしを繰り返すことで、アイデンティティの未発達問題もそこで一つ一つ階段を登って成長していかれるように思います。ですから、技法としても、特に境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害など、人格障害のB群といわれる圏内に入るクライエントさんや、共依存、薬物(アルコール)、過食・拒食、買物などのアディクション(根が深いクセ)を持つ方々には重要と思っています。

また仕切りなおしの利点としては、変化させる力をいったん弱める効果があります。変化を起こす方向にばかりクライエントさんをプッシュしつづけると非常に不安定な状況が出現する可能性が高いからです。治療で一番避けなければいけないのはこの不安定さです。そのためには短期療法を、様子をみながら仕切りなおしながら繰り返す、これが私のスタイルです。仕切り直すことで、クライエントさんもいったん日常へ帰るわけです。そこでなんとか自分を試すことができる。

そして、仕切りなおしをするときは、前と同じ方法はとらないようにする、というのも注意点の一つですね。1度目がうまくいったら、2度目はその方法は使えない、と思っておくほうがいいのです。日常生活は違いますよ。一度うまく行ったらそれを続けてください。この法則が使えないのは、心理療法特有のものなのでしょう。

仕切り直しはカウンセリング過程のこと、この話はまたいずれ。

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