カウンセリングとは何か、その2

この記事は約6分で読めます。

メール相談というものがあります。

1990年代以降インターネットが普及したことによる新しい相談形態です。何かを聞いて知識として知ることを目的としている場合は、その迅速性と手軽さにおいてはこれまでの媒体を抜きん出ているものと思います。

実際、私も以前、無料のメール相談をやっていました。始めはカウンセリングサポート的な意味合いがあり、心理的な教育をするためには良かったかと思います。その意味では認知行動的なアプローチと相性がいいのでしょう。認知行動療法は「相談者を教育する」側面が大きいからです。

ただ、心理的な作用については、教育の側面ばかりではありません。むしろ教育的なものは脇役で、一番は共感して受容していくことです。これがカウンセリングが目指すものです。カウンセラーに深く理解してもらうことで、相談者は自分のことが分かってもらえたという充足感を得ます。このカウンセラーによる受容をくり返していく中で、相談者は自分でも思いもよらぬことを語っていることに気がつくことがあります。これが気づきです。この気づきも、受容された空間で深くなっていきます。

カウンセラーによる受容=相談者による気づき、これが連続して生じてくるとカウンセリングは回復期に移行していきます。この受容と気づきは、ジャズでいうライブセッションと全く同じで、お互いの掛け合い、アドリブによる相互作用、臨場感の中で生じてきます。ですからカウンセリングには、生の人間同士が接触している空間が必要なのです。

この意味で、メール相談というものは一方通行で、ライブ感がないために、気づきに至ることはなかなか難しいのです。情報提供ならできますが、それ以上のものはなかなか期待できないのです。そのために実際のカウンセリングがあるのです。インターネットでいくら情報を探して知識を増やしたとしても、気づきまでには至らない。

相談者の気づきを促進させるためにカウンセラー側に必要な態度とは何でしょうか。それは相談者の言葉1つ1つを聞き逃さない傾聴技術です。傾聴とは、相手の話に耳を傾けるということですが、心理的な傾聴は聴いているだけでありません。カウンセラーがその言葉を反芻しながら、その言葉はいったい何だろうかと常に考えています。その言葉の背景を想像しているのです。前に同じようなことを話していたなあ、そのときの感じと今の感じは同じなのか違うのか、そして違うならそれはなぜ違うのか、そんなことを考えながら、耳を傾けることが心理的な傾聴なのです。

そうやって傾聴されていると相談者は、あるとき思いもよらぬ言葉を発します。そのような言葉が出てくるまでカウンセラーはひたすら待ち続けます。つまり聴き手はあくまでも触媒なのです。相談者のこころの化学反応を促進させるためのものなのです。そうやって気づきを得られれば、その反応が逆に戻ることはないのです。

傾聴には気づきの促進以外に、もう一つの側面があります。それは見立てるということです。相談者の話を聞きながら、会話内容が無理なく組織化されているか、事実と感情表現の有無や、それらのどこに重心を置いて話しているか、自他に関しての捉え方、相談者の生き方のクセ、しみついてしまっているもの等々を見立てていきます。まだまだありますが、そのようなものを的確に捉えるには、傾聴しか方法がありません。カウンセラー側から何か質問を発してしまうと、カウンセラー側の興味へ引きずり込んでしまうリスクがあるのです。カウンセリングの終わりに、見立てを確定するために、カウンセラーから少しお尋ねすることはありますが、大部分は黙って彼らの語りを聴いていなければなりません。

そのような傾聴によってのみ相談者を見立てることができるのです。心理テストという形もありますが、テスト結果はあくまでも参考にすぎません。見立てとは、相談者が人生のどの心理発達の局面でつまづいてしまっているかを想像することです。つまづき以外にも脳機能の障害の有無も見立てます。心理的な局面についてはカウンセリングで治療していくしかありませんが、脳機能の問題は医者へリファーすることもあります。時と場合によりますが。

また相談者だけを見立てるのではありません。相談者の元家族(生まれたときの家族)や現家族(結婚後の家族・子どもも含む)の3世代くらいの家系全体の人々も見立てていきます。家系を見立てることができれば、相談者自身の見立てももっとくっきりとはっきりとしてくるからです。この家族(家系)を大きな1つのシステムとみなす家族療法は、家族システム論と言って家族療法の要となります。相談者自身の問題としてだけでなく、家族の問題としても捉えて治療に乗せていくのです。精神分析的な視点では、これを力動的な家族療法と言います。家族間にどのような力関係が働いているのかを見ていくのです。

このように見立てがしっかりしていると、傾聴していても、カウンセラー側が動じるということはなくなります。カウンセリングの過程では相談者が動揺して、それにつられてカウンセラーが動揺するということも起こりがちですが、見立てがあると、カウンセラーが動揺せずに聴き続けることができます。そのためにも、見立てができていることが必要なのです。

さて、見立てはいつ頃できあがるのか。それはカウンセラーとしての経験と力量によって大きく変わりますが、1回でできるときもあるし、1年くらいかかるときもあるし様々です。私の場合は、数回のうちには出来上がるようには頑張っていますが、まだまだでしょうか。見立ての作りにくい相談者は実際に居ます。それは何が見えなくさせているのか。カウンセラーの思い込みというのも大きいでしょう。つまり間違った見立てで聴いているということです。それだからカウンセリングが揺れるのです。見立てが揺れると、カウンセリングも安定せず、カウンセラーの疲れも尋常ではなくなります。カウンセリングに疲労を感じる場合は、そこで一度立ち止まって、これまでの会話の記録を見直すといいでしょう。見立てが間違っている可能性があります。私もそうしています。スーパービジョンを受けるならそのタイミングがいいでしょう。

なぜ間違って思い込んでしまうのか。それは知識だけで見立ていることも大きな要因でしょう。自分の感情を排除しているからです。第一印象というのはカウンセリングの場でも重要なのです。この相談者にどのような感情を抱いたか。その感情と自分のカウンセリング理論の知識をすり合わせるという作業を怠って、知識だけで見立ててしまっているから思い込みが発生するのです。自分の感情をキャッチするのは誰でも難しい作業ですが、カウンセラーは相談者にそれを促していくわけなので、人にやらせておいて、自分は知らぬ存ぜぬでは済まされないということでしょう。カウンセラーもしっかり自分の感情に向き合うこと。これが見立てを間違えない秘訣の1つです。

そして最後に、正確に見立てられたとしても、カウンセラーはその見立てに引っ張られないことです。その見立てを懐に忍ばせてカウンセリングをしていくことです。そうすることで相談者の小さな声を聴き逃すことなく回復に向けてカウンセリングを進めることができるようになります。

私はまだまだ修行中の身、カウンセラーを廃業するまでにその境地へ行けるのかどうか、そしてその境地の先はあるのかないのか、なんとも分かりません。カウンセリングという深淵へ向かって分け行くのみです。

タイトルとURLをコピーしました