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ソレア心理カウンセリングセンター

2018.07.08 |成人や子どもの発達障害

成人の発達障害を診断する意味

私はカウンセラーですので、医者がやるような診断はできません。できませんが、ある程度の見立ては必要です。そうでないと羅針盤を持たずに航海へ乗り出すようなものです。






ここで見立てについて説明しておきます。見立てとは、診断とは違います。診断よりも曖昧なものということでもありません。じゃ、何なのか。
見立てとは、クライエントさんの話を十分に聞いたうえで、「このクライエントさんはこんなことで困っているけれど、それはこういうことが原因にあるのかもしれない、そのためにカウンセラーができることはこういうことがあるかもしれない。そしてそれをやったらクライエントさんはこんなふうに治癒していくだろう。」というようなことです。

つまり【診断をしているわけではなく、治癒に向けての提案と予測をしている】のです。診断は、診断すればそこで一刀両断ですが、見立ては切って捨てる意味合いはなく、そこに【未来】がなければ意味がありません。私はクライエントさんにあまり症状名を告げることはありません。それは発達障害以外の精神疾患で悩んでいらっしゃるクライエントさんに対してもそうです。ただ、カウンセリングを継続していて、症状名を言ったほうがいいかなと判断したときに限り、つまりそれを言うことでこの人にとって「未来」が開けるかもしれないと判断したときに限って、おそるおそる告知するようにしています。

この見立てという意味ですが、発達障害の方にはどういう意味があるのでしょうか。

発達障害の本人への告知については、大きくわけて2つの流れがあるように思います。
1. 思春期の年齢なら(中学以上)告知する。
2. 発達障害かどうかわからないので告知しない。

言ってしまえば、告知するか、しないか、なのですが、
ここは大切な部分です。カウンセラーのカウンセリングスタイルにもかかわる部分です。つまり、クライエントさんの症状をどう考えているか、そしてどのようにカウンセリングに活かしていくのか、というスタイルです。

子どもの場合は親と子どもに積極的に告知するという立場もあります。親に知ってもらうことで子どもの状態を冷静に見ることができ、正しい対応が取れるようになります。親のせいで子どもがこうなっているのではないという安心を親に与えることで、子どもへの対応に余裕が出るわけです。

ただ、子どもにそれを教えるのは賛否あると思います。私は教えない立場を取ります。以前、軽度精神遅滞の子どもと話したとき、「私は脳の病気だから」と言った言葉が忘れられません。その子は笑いながら言っていたのですが、きっと誰かから言われたのです。「脳の病気」という言葉は、非常に限定された使い方をすると、魔法の言葉のように効くと思います。私は、これまで言ったこともありません。もし今後使うことがあるにしても、ほんとにせっぱ詰まったときしか、それも、かなり限定された精神疾患の方にしか言わないと思います。子どもが自分のことを「アスペルガーだから」とか「ADHDだから」とか言うのは、とても悲しいと思う立場です。それは大人になってからでいいじゃないか、と思うし、もし大人になってもそれが自覚できなければ、それこそ環境が良かったせいでハッピーじゃないか、と思う立場です。

また、脳の病気だからと言って回復しないとは限らないからです。発達障害については、特に他者との対人関係のキーであるミラーニューロンが回復してくることで、ずいぶんと良くなってくることも多いからです。

さて、成人の発達障害の方へ告知するメリットを考えてみます。

自分がこれまで悩んできたことが、告知(症状名を告げてラベリングする)することで、一時的に衝撃を受けることもあるが、それが納得へ変化し、その症状と共に生きていこうとする決心ができる。

(2009年秋の時点で、ADHDは治るかもしれないという灯が見えます。詳細は、別記事 「創造的で精力的な障害~成人のADHD」 をご覧ください。)


この決心のメリットは大きいです。決心できると、これまで悩んできた様々なことが憑き物が取れたようにすっきりすることもあります。しかし、うまくいくときばかりではないのが告知の難しさです。精神的な疾患で悩んでいる方には「告知は難しい」という腰が引けている状態でいるほうが、いいのではないかと、私は思います。

告知すると、その情報が脳の認知をつかさどる部分にインプットされるわけです。自分の病態を頭で理解するフィールドが広がるというわけです。認知行動療法などは、この領域から認知改善=症状改善をねらうわけです。認知の部分、考え方の部分の修正をはかっていくという治療戦略は、全く文句のつけようがなく妥当であると、私も思います。私は認知行動をやっていますとは公言はしていませんが、セラピーの中では、やはり、認知の部分を扱うことを避けては通れません。それは大人としての生き方の道理(コツ)を説くようなものですから。

道理と言っても、道徳などを押し付けではありません。例えば、パニックになっるとナイフを持ち出そうとする人がいるとします。そういう人には、ナイフは普段から目につくような場所には置かないこと、パニックが納まるまで静かな場所に退避できるように普段から訓練すること、優先順位がわからずにパニックになっているときは周りの人に順番を相談すること、そういうことを言い続けることが「道理」ということです。発達障害の人は普段と違うことに遭遇するとパニックになりやすいので、そういう刺激をどうやりすごしていくか、そういうことも言い続ける必要があります。

ここで少し、人の脳について考えてみます。
私たちの感覚や感情、思考は、脳のそれぞれの部分で発生します。
一番原始的な「触覚-嗅覚」などの感覚は、脳の中心にある古い脳=脳幹で、
喜怒哀楽のさまざまな感情は脳幹を取り巻く大脳辺縁系で、
そして思考などの認知は、一番新しい脳である前頭葉で発生します。

一番底には「触覚-嗅覚」が、その少し上には「感情」が、そして一番表層には「認知」の層があるのです(Lusebrink, 1990)。

そして、感覚、感情、思考のスイッチの入り方ですが、
感覚がもっとも早い高速道路のようにスイッチが入ります。感情は一般道、思考は田舎道です。
コンピュータで例えるなら、感覚はスーパーコンピュータ、感情はパソコン、思考は電卓、そのくらいの差があります。

これは、感情が爆発したときは、いくら助言してもいうことを聞かない(聞けない)ことからも理解していただけると思います。感情が時速80kmで突っ走っているとき、時速10kmの思考がいくら忠告しても感情へ届かないのはあたり前です。感覚の爆発(急に幻臭がして気持ち悪くなるなど)は時速200km位と例えると、その臭いが幻覚だと説得しても、いかに思考が役に立たないかがわかります。思考によって感情や感覚はコントロールできないのです。感情をコントロールするには、感情や感覚による方法しかないのです。認知が変わったとしてもなかなか感情のクセが治らないのは、このためなのです。

とはいうものの、認知の道理は必要です。感情や感覚が爆発していないときには効果を発揮わけですから。

このように認知的にわかるということは、感覚や感情に対して力は弱いということをまず理解してください。しかし認知アプローチはダメなのかというとそうではなく、力は弱いけれど、社会の道理は道理なので、伝えるときには伝えるという、認知のアプローチも必要です。

このように認知アプローチが必要と感じたら、私は、発達障害にかかわらず、クライエントさんにその病名を告知します。告知しながら、認知よりも下層の部分、つまりクライエントさんの生きづらさを作っている張本人である感覚や感情の部分へアクセスするセラピーに比重を移していきます。いわゆるマインドフルネスを活用した表現アートセラピーです。また、この感覚を重視したセラピーは、クライエントさんのミラーニューロンに働きかけます。前頭葉のその部分(ブローカー野)が何らかの刺激を受けるようです。それによって他者を感じることができるようになり、それと同時に自分というものが目覚めてきます。この感覚は、アスペルガーなどの発達障害の人にとっては馴染んだことのない感覚ですが、確実にこのとき他者との関係において自我が立ち上がります。これがわかってくると、対人関係もずいぶんと改善されてくるわけです。つまり発達障害も治っていく可能性は大きいのです。

また、発達障害のクライエントさんはミラーニューロンの不活性によって認知の仕方が違う。それによって他人と違うという悩みが常にあり、認知の下層である感覚や感情域において深い傷つきがある。この傷つきによって認知へ悪循環のフィードバックがかかる。されらに傷つく。この循環に知らずに入っていきます。このように、発達障害を持つ方の生きづらさというのは、発達障害から生まれている部分より、それ以外から生まれたものも大きいのです。これを2次障害といいます。


ですから、発達障害の方への心理的アプローチも、通常の精神疾患の方と同じやり方です。特別なことをするわけではありません。ただ、感覚や感情へアプローチするときや、認知面へアプローチするとき、どこかに発達障害のことを気にかけている自分がいます。そうすることで、セラピーに展望が開ける場合があるからです。

感覚や感情へのアプローチはクライエントさんとって辛いものです。かなり辛い展開になるときもあります。そこをクライエントさんの治癒力に頼りながら乗り切っていくわけですが、そのとき発達障害という香辛料を降りかけることで、クライエントさん自身落ち着きを取り戻されることもあります。そうやって発達障害を使うこともあります。このあたりは、発達障害の有効利用と呼べるのではないでしょうか。

また、ここで言っていいことかどうか判断に迷うところがありますが、発達障害というのは分かりやすい人もいれば、分かりづらい人もいます。分かりやすい人は一目見ればなんとなく雰囲気でわかるのですが、分かりづらい人は10回カウンセリングしてもなかなか見えてこないことがあります。そのため、発達障害の専門家と呼ばれる人の中でも、違う診断をする場合があります。いわゆる誤診です。治療者は良かれと思い診断しているわけですが、クライエントは混乱するばかりです。

最近は、なんでもかんでも発達障害と診断する精神科医や心理士が多くなってきています。これはヒステリーと観たらすぐにボーダーラインと決め付けることに似ています。流行なのかもしれませんが、いつからADHD的に物事をさっさと決め付けるようになったのでしょうか。結論を急ぐようになったのでしょうか。私は、発達障害というのは、思っているほど多くないという立場をとっています。多くないとすれば、カウンセラーがやることはただ一つです。生きづらいと思っている部分を治療することです。

私も見立て違いをしている場合が当然あると思います。それを正当化するつもりはありません。間違いは間違いです。間違いだけれども、セラピーはなんとかうまくいくように、そう思います。そして【診断そのものよりも、それを治療にどう活かすかという視点のほうがはるかに大切なことである】という大原則からだけは外れないようにしたいと思います。

*参考図書:Imagery and Visual Expression in Therapy (Lusebrink, 1990)
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