Aubreyは、アメリカのポップグループBreadの1973年のヒット曲です。
And Aubrey was her name,
A not so very ordinary girl or name.
オーブレーが彼女の名前だった
ちょっと変わった子で
変わった名前だった
オーブレーというのは欧米では男性名なんですね。
そういう男性名をもった女の子に恋をした若者の話です。
とても切ない曲調で、
メロディーが、こころのある部分にじわっと入って涙腺が緩みそうになります。
それはこの歌を聴いた高校生だった頃からそうなのですから、
年のせいばかりではないのでしょう。
どこか普遍的なセンチメントを持っているのでしょう。
性別に合っていない名前、性別が分からない名前。
わたしも自分の名前に悩んできた時期がありました。
父親がつけたという自分の名前が嫌でした。
それは、よく女性に間違われたからです。
小学生から高校に入るまで、10年間くらい嫌でした。
高校のとき、ようやく名前と自分が一致しました。
この名前、いいじゃん!という感じです。
名前と自分が一致していないというのは、アイデンティティの不一致のような大袈裟なものではありません。
でも、何かそういうものにも関係しているのか。。。たぶん、関係ないと思いますね(笑)。
名前というものは自己の一部ではありますが、それが人生に影響を及ぼすのか。
姓名学などもあり、子どもの名前を決めるとき、親御さんは結構苦労します。
それは人生を左右するくらいのものだと思っているからでしょう。
ドライな割り切りをする人もいるが、そのくらいウェットになって思案するのも人生においてはそう何度もない経験でしょう。
名前は識別子であり、普段、自分の名前を書くときは、
その背景に大きな家族の呪縛を感じたりはしないでしょう。
それは無意識的にも何も感じていない。
しかし、相談にくる人が名前を書くときは、
無意識的に家族の呪縛を感じつつ書いているように思います。
そんな気がするだけですが。
そのように感じるときは、名前がその人にとっては、大きな意味を持ってきている。
そういう世界で毎日仕事をしていると、
名前にもただならぬものを感じてしまうのも正直なところです。
名前のないものに名前をつける行為は、
今回の話とは全く違う(そうでもないか)意味があります。
古くから、さまざまな民話に名前をつける話があるくらいですから、
名前を生み出すというのはかなり重要な要素があるのです。
ですから親御さんが命名しようとするときは、そういう歴史的なものを背負っている。
それだからこそ人生の一大事であるということもあるのでしょう。
ただ、今回の話は、そういう気持ちがあったか、なかったか、で、付けられた名前をもらった人々の話なのです。
うちの家族は、名前から性別が分からない名前が多いです。
私がそうだったからでしょうか。
名前というものにジェンダーを一致させることを嫌うからでしょうか。
これは、そういう節もなくはない。
それがアイデンティティをあやふやにしていると言われれば、
親としては冷や汗が出ますが、
そこを越えていってもらいたいという応援の意味もあります。
うちは娘と息子がいるのですが、ふたりともそういう運命(笑)を負っています。
娘は自分の名前がたいそう気に入っているらしく、
大学の英語の授業で自己紹介をするとき、
そのときの原稿をちらっとみたのですが、
自分の名前のことが書いてありました。
むすめの名前は、男性にも女性にも少ない。
キラキラネームでもない。どちらかというと古風。
それが功を奏したのでしょうか。
いいプレゼントができた。
名前だけは良いものをあげられて良かった。
親の役割は果たせたかどうか分からないけれど、
名前をあげるという人生の最初のプレゼントはうまく行ったか。
息子はどうなのかな。
こういうのは、ちょっと面と向かっては恥ずかしくて聞けません。
もし聞いても、どれだけ本心が出てくるか。
オーブレーを聞くと、
こんなことを思い出します。
ずいぶんと私も年を取りました。